霞みゆく破片

漫画と映画の感想ブログ。アウトプットすることで覚えておきたい。

鈴木家の嘘

長男自殺の記憶を失った母を誤魔化す物語

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基本情報

作品名:鈴木家の嘘
監督・脚本:野尻克己
ジャンル:ヒューマン映画
描写:実写
公開:2018年
出演:岸部一徳原日出子 / 木竜麻生 / 加瀬亮 / 岸本加世子 / 大森南朋

 

あらすじ(ネタバレなし)

長男の自殺にショックを受けた母親が一時的に記憶をなくしてしまい
家族皆で口裏を合わせ、アルゼンチンで仕事をしているという設定の嘘をつく。
どこまでバレずに騙せるのか。どんな想いで嘘をつくのか。
そして、全てが明らかになった家族は何を思うのか。

コメディさやハートフルなシーンはあれど、なかなかに重い物語。
監督・脚本を務める野尻克己さんの事実に基づく話だそうで
映画としての見やすさを取り入れながらもリアリティが強い作品。
2時間超えの少々長めな尺。
日本映画スプラッシュ作品賞を受賞。

 

あらすじ・感想(ネタバレあり)

長男の自殺

 映画の冒頭にセリフはなく、画面を見ながら状況を把握しようとする始まり。
割と綺麗めに本が積み上げられた和室の窓辺でカーテンがなびく。
外の景色を無言で眺める無表情の男性。
押入れを開けて上段によじ登り、天袋に頭を突っ込んで何かを手に取る。
輪になったロープだった。
設置済みの首吊り装置に頭を突っ込み、弾みをつけて押入れから飛び降りた。
吊られた身体は首を軸に回転し、部屋の中央を向く。

あまりにも淡々と進む手際の良い自殺シーンに動揺が隠せなかった。
一言も発さず、表情を歪ませることもなく、涙も流さない。
死ぬことに対して迷いも絶望もない、ただの決定事項として行われた首吊り。
死にたいと思うことは何度かあったが、思い留まってしまう自分にはない潔さだった。
この境地まで行けば死ねるのか、と思った。
それと同時に天袋を利用して首を吊れるものなのかと
ロープを吊るす場所を探す過去と未来の自分に1つのヒントが増えた。

嘔吐も失禁もしない綺麗な遺体は映画仕様だろうか。
その為に体内のものを出し切ってからの実行だろうか。
首を括った全身がぶらーんと吊られた映像はどうやって撮影したのだろうか。
目を背けたくなるどころか興味津々だった。

 

母親が発見

買い物から帰った母親がキッチンへ直行して料理を始める。
上の階で起きている惨事に気付くことなく
ラジオをBGMにご機嫌に笑いながら料理をテーブルに並べる。
「浩一、ごはん出来たわよ。たまには一緒に食べない?」
2階の部屋にいる引きこもりの息子に明るく声をかける。
発見まで秒読みになり、どんなリアクションをするのか息を飲んで見守る。

現場を見つけた母親は大急ぎでキッチンに戻り
鬼の形相で包丁を手に再び階段を駆け上がった。
少しでも早く首の圧迫を解いたら助かるかもしれないとの考えから
ロープを切る為だろうとすぐに察しがついた。
助かろうが助からなかろうが吊られた状態は苦しそうだから
凶器となったロープを一刻も早く外してあげたいと思うのが愛する者の心だろう。

終盤にこの詳細シーンがあるが、ここでは敢えて飛ばすことで
見る者に少しの誤解を与えようとしている。
包丁を持って駆け上がった母親の次のシーンは
手首を血塗れにして床に倒れて哀しむ姿だった。
これでは息子の側で後追い自殺を図ったように見えてしまう。
実際は「切れろ!切れろ!」と無我夢中でロープを切りつける際に
ロープを握っていた自分の左手も誤って切ってしまいそのまま倒れただけで
やはり後追い自殺なんかしようとしたわけではなかったのだった。

長男の浩一が自殺するシーン然り、死ぬにはそれなりの心の準備が要る筈。
ショックを受けて階段を駆け上がる勢いのまま自殺するのは不自然なのだ。
早々にこれに気付いた人は
「アルゼンチンの嘘」がバレるのはそんなに怖くないかもしれない。
親族一同が心配するような「思い出したらまた手首を切りかねない」
という発想は少なくても私は持たなかった。

母は倒れたきり意識を取り戻さず、植物人間となった。
目覚めて皆が嘘をつくのはもう少し先の展開。
描写が丁寧な映画である。
登場人物を理解し、感情移入するのにとても良い。

 

強引にやってくる日常

新体操部に所属する妹・富美(ふみ)は日常を送っていた。
兄が突然死んで母が倒れたって当たり前のように自分の生活が続くやるせなさ。
心の整理がつく筈もなく無心で新体操に打ち込もうとするが心が乱れ
その上コーチが無神経なことを話しかけてくる。

お前んちの兄貴引きこもりなんだって?悪いのは本人か親だな!
俺も前引きこもりの子の家庭教師してたんだけど治ってさ
いやー、やっぱ愛があれば人は変えられるんだよ!

私なら「兄は死にました!」と叫んで相手を後悔させたいが
富美は「変わりませんよ」と吐き捨ててその場を去って電話に出た。
他人事ならば多少苛立っても流せたかもしれないことが
当事者にとっては心をかき乱すものとなる分かりやすいシーンだった。
悲劇の渦中に綺麗事などないのだ。

 

現実逃避…?

父親はチラシを手に男爵という名のソープランドへ行った。
きっと事件の真相がそこにある筈で、風俗嬢に話を聞きに行く筈だと思った。
しかし父はなされるがままで、指名したイヴちゃんという女の子は下着姿で準備を始める。
おいおい、今すぐ「今日来たのはそうじゃなくて」って言ってくれよ。

次のシーンで父は雑多なスタッフルームに着席していたので
実のある相談に発展したのかと思いきや料金不足で万引き扱いの身柄拘束。
そこで富美を呼び出し、追加で2万円払わさせるという最悪な展開。
「こんな時に何やってんの」と娘に言われるも父は割と飄々としている。
待って。父がダメ親過ぎない?娘の心は大丈夫か。

 

49日の目覚め

父の妹の君子、母の弟の博と共に49日の法要。
しかし自殺は罪だからと一族の墓に入れることを寺に拒否され
目を覚まさない母悠子について楽観的な男性陣に君子がブチギレ。
父は博に風俗嬢との店外デートのアドバイスを貰いふわふわした様子。
男は夢想家、女は現実的である。
博は思い付きでアルゼンチンで海老を売る仕事を始めたと話し
地に足つけずコロコロ仕事を変える無鉄砲さも君子に罵倒されていた。

一生寝たきりだった場合を想定して困惑していたが
このタイミングで目を覚ましたと連絡を受け病室までダッシュで向かう4人。

目覚めた時は同じ病室の他の見舞いに来ていた子供が発見したが
すぐに看護婦を呼ぶことなく母は身体中にチューブをつけたまま床を這い
子供が持っていたパンに貪りついてむせた。
栄養素は吸収していても余程の空腹感だったであろうことを察するシーンで
本能的に生きようとする人間の姿を描いていた。

そしてお待ちかねの記憶喪失が発覚し、嘘をつくシーンが訪れる。

久しく使ってなかった声帯はうまく発声出来ないようで
意思の疎通も時差を含めて少々難がある感じ。
全員喪服のままで「49日」という単語が出ると「誰か亡くなったの?」と
思ってもみない返しに一同は戸惑い、咄嗟に嘘を言い出したのはまさかの富美だった。
新体操のコーチがガンで突然死した設定を口から出まかせ
「本当に記憶がないの?」と疑心暗鬼ながら笑顔で嘘を並べていく。
「浩一は?」の問いの答えとなったのが博の少々ぶっ飛んだ仕事だったのだ。

「お母さんの入院費を稼ぐ為にお兄ちゃん引きこもりやめたんだよ!」
それは現実と真逆の願望の羅列だった。

 

アリバイ工作

なんであんな嘘を…と勢いづいたことを後悔する4人に対して
医師は「アレで良かったと思いますよ」とショック緩和方法として正解とした。
そうとなれば設定を信じさせるべくアリバイ作りが始まる。
富美がネットでアルゼンチンについて調べ、手紙の文面を考え
博の仕事仲間である北別府さんに筆跡を真似たハガキを現地から投函して貰う。
アルゼンチンっぽいTシャツを父が買いに行き同封されたことにして
病室で皆でお揃いルックで記念撮影をした。
皆が一丸となってイベントに取り組む展開はまるで文化祭の準備のようで
見ているこっちも少し楽しくなってくる。

博が一旦アルゼンチンに帰るというので
浩一へのお土産を持たせようと張り切る母。
「いつもの包丁がない」と理由を忘れている母を富美が慌ててフォローし
冷凍すれば食べ物も持っていけるとおたふくソースとオムレツを用意した。
それは自殺したあの日、食べられることのなかったメニューだ。
これもまた浩一の口に運ばれることは絶対にない。

陽気な外国人を使って現地の友達としてビデオレターまで作成した一家。
浩一は出てこないが、シャイな性格を考慮して不服に思わないようだった。
母は浩一を誇らしく思い、幸せそうだった。
嘘なのに、現実は全然そんな良い状況じゃないのに。
それを思うと再び可哀想に思えてくる。
むしろ早く知るべきでは、とすら思った。

 

分かち合う会

同じ自死遺族同士で集まる会に参加した富美。
同じ経験をした人だからこそ話せることがあり、少しずつ楽になろうとする集まり。
会が始まる時の注意事項も興味深く、これもリアルだと感じた。
話したくない時は無理に話さなくていいこと、宗教勧誘はしないこと
そして相手の人格を否定することは言わないこと。

複数回参加している「ベテラン」と紹介された女性から始まった。
子供を失った人、旦那を失った人、いつくらい前のことか
死ぬきっかけの喧嘩詳細や、発見時のこと、皆赤裸々に泣きながら重い話をする。
派手セレブなやかましいおばちゃんが強引に明るくしようとするのが浮いていた。
「子供はまた作ればいいわ!」「うちで漬けたきゅうり!ほら食べて!」

富美はその場に心を開けず「パスでいいですか」と何も話さなかった。
きっと父には何も相談せず独断でここに来たのだろう。
コーチに言われた無神経な発言も影響して
自分の想いを理解してくれる近い感覚の人に触れたくなったのだろう。
1人でここに来たということはきっとそれなりに強い救いを求めてただろうと思った。
でもまだここで話す気にはなれなかったのは
既出の「寂しい悲しい」が富美の1番話したかったことではなかったのだと
後のシーンで明らかになっていく。

 

そうめん

博が1人で帰国して鈴木家で食事をするシーン。
出てきたメニューはそうめんだった。
以前「姉ちゃんに嘘がバレた時、冬なのに1週間そうめんだった」と話しており
それと重ねてついにバレたかとドキドキしながら見入ってゆく。

案の定「博、嘘ついたでしょ」と口切られ、そうめんを吹き出す博。
しかし調べたらアルゼンチンには食べ物を送れないと判明したから
あれは浩一の元には行かなかったのねという小さな怒りだった。
「姉さんがあまりに嬉しそうに支度してたから言い出せなかった」と詫びると
少し拗ねながらも許してくれた些細な出来事だった。

ホッと胸を撫でおろしたところで再び爆弾投下。
ソープランドって何するところ?」
コントのように、今度は富美がそうめんを吹き出した。
母は掃除中に見つけた父のポケットのチラシについて素朴な疑問を抱いていた。
箱入り娘の典型というか、皆が母を箱に入れて大切にしている世界があった。

 

保険金

父が不器用に通い詰める男爵の様子も少しずつ明らかになっていく。
ボーイに疎まれ蹴とばされて店外に追い出されながらも
粘りに粘って「イヴちゃんと話させてくれ」と正面から体当たり。
やはりイヴちゃんは浩一に関係のある人物だったようで
「イヴちゃんのヴはこの字なんだよ!」と説明したり
最終的には土下座して分かりやすく説明するシーンも出てきた。
でもソープのシーンはもうちょっと簡潔でも良かったんじゃないかなという印象。

浩一は生前自分で保険金をかけていたそうで
家族の他にもイヴちゃんへ渡すよう登録されていたとのこと。
そして保険金の受け取りは本人しか出来ず
母も自分で受け取らなければお金は貰えない。
父は全てを話す決意をしたようだったが、富美は納得しなかった。

「浩一はイヴちゃんと結婚するつもりだったのかな。内縁の妻じゃないと貰えないんだ」
相当な想いの深さが伺えるが
相手の職業的に報われなさそうな色恋営業に加熱した予感。

 

富美の本音

この映画の軸は「嘘を貫いて母を守り抜けるか」ではない。
現実と差がありすぎる嘘をつく側の「矛盾への忍耐」だと思う。
敢えて主役を決めるとしたら私は富美を選ぶ。

最初は楽しかったアリバイ作りも、継続するには根気が要される。
温度差のある母に向けて、兄のフリをして手紙を書く手が思うように動かない。
「富美もお兄ちゃんに手紙書いてみたら?」
喧嘩したまま和解してない子供たちを繋ごうとするおおらかな母の言葉に
富美は1歩前進を試みた。
その手紙は再び参加した分かち合う会で読み上げられる。
内容は兄への怒りと憎しみに満ちた激情だった。

なぜ引きこもりになったんですか。
お母さんは学校でいじめにあったんじゃないかとか
受験に失敗したことがショックだったんじゃないかとか
色んな心配をしてたけど本当は何が原因なんですか。
理由なんてないんですか。
お兄ちゃんは自分が1番じゃないとすぐ拗ねるもんね。
最初にお母さんが見つけるの分かっててああやって死んだんでしょ。
酷いよ。
大好きなお母さんはお兄ちゃんが死んだこと知らないよ。
哀しんでもらえなくてざまーみろ!
許さない。私は絶対にお兄ちゃんが死んだことお母さんに教えないから!
(記憶の限りで書いてるので言い回しはニュアンスです)

手元の紙に目線を置いたのはほんの始まりだけで
剝き出しになった本音を吐き出すように前を向いて叫んだ富美。
休憩中に椅子に座るも嘔吐して、皆に介抱されていた。
人によってはこの富美を見て不安を感じて心配するんだろうけど
その悪玉はずっと中で蠢いていただけで、やっと摘出出来たようなもの。

私はとても心地よい気分で「よく頑張ったね」と思った。
嘘を成立させようとする自分と本当の自分が分離しすぎて
自分を殺さないと生きていけない状況になっていたから
やっと自分に戻れたんだねって、そんな安堵の目線で見た。

新体操の最中に激情が昂って自分の太ももを殴り始めたシーンも
心と直結した自傷の一種だ。
そうだよ、もっと素直に出しちゃえ。それは正常なのだ。
心の中でそんなエールを送った瞬間、富美は皆のいる前で絶叫した。
爆発した心の叫びを、人目を無視して解き放ったのだ。
爽快な感動があった。
この映画で私はこのシーンが1番好きだ。

 

同情

分かち合う会の帰り道、スタッフが漬物おばさんの悪口を言った。
他にも会の掛け持ちしてるし、大声で明るく話して浮いてるし
いつもタクシーで来るし、相応しくないんじゃないかと。
すると参加者の一人であるベテランさんが反論する。
「旦那さんが飛び込んでから怖くて電車に乗れないんですよ。
 賠償金の支払いで余裕なんて全然ないんです」
辛い人に寄り添おうとする人は「辛そうに見える人」を選別しがちだ。

終盤にこのベテランさんが富美に妊娠を打ち明けた。
自分なんかが産んでいいのかなと返事を欲するような独り言に対して
富美は何もリアクションを返さなかった。
無責任にその人の人生を左右する言葉を投げるのは
それで後悔した者には勇気を要するようになってしまうのかもしれない。

 

博の結婚式と共に

博はアルゼンチンで見つけた嫁を日本へ連れ帰り
鈴木家でホームパーティー規模の披露宴が開催された。
国内へ引っ越し海外事業から手を引く為、現地からの手紙も打ち切りとのこと。
心理的だけでなく、物理的にも限界が近づいてきた。

アルゼンチンから手紙を出す役だった北別府さんと富美が対面し
感謝を述べるも「北別府さんは事実を何も聞かされてない」という不安フラグ。
酷く酔った彼がこの披露宴を、鈴木家をぶち壊していく。

母は浩一の誕生日が近いことを意識し、ホールケーキを用意していた。
何の日なのかピンと来てなさそうな父に母はムッとして愚痴をこぼす。
「あなたはいつもそう。浩一が引きこもった時だって放っておけって無関心で。
 もし博くんが連れ出してくれなかったら今頃どうなってたでしょうね」

博は部屋から連れ出してなどいないのだ。
今頃は浩一はもう骨なのだ。
呑気に誕生日を祝うような空気ではないのに、訂正が出来ないもどかしさ。
上辺の皮を脱ぎ捨てた富美は嘘に付き合いきれなくなっていた。
母がケーキの蝋燭を消す役を富美にやらせようとするが動かない。
富美にとって浩一の誕生日祝いは喧嘩を思い出させる苦痛の行事でもあった。

酔っぱらった北別府さんが「浩一どこだぁ!出てこぉい!」と家中かきまわす。
富美をはじめ慌てて止めに入るも酔っ払いは暴走し
浩一の部屋のクローゼットから遺骨と遺影が飛び出てきてしまう。
隠す気力を失い遺影を手に持って蹲った富美を母が目撃し
この部屋で見た景色を思い出していく。
ここでようやく首吊りロープを切ろうとしたシーンが訪れた。
倒れた天井に蝙蝠が飛んでいた景色まで思い出す。

 

お別れ

一族の墓に浩一の骨を入れられない問題も
母との相談を経てようやく解決した模様。
喪服で墓に手を合わせる母の姿に私はなんだかホッとした。
絶対教えないと息巻いていた富美にとっては不服だろうが
母の目線で考えたらもっと早くちゃんと向かい合ってあげたかっただろう。
故人へ優しさを届けたいという強い意志があるように思えた。

その日の夕食はレトルトのお弁当だった。
食事を作る気力も余裕もないことを感じさせる細かい描写が良い。
皆は浩一の死から日数を経ているが、母は間もないのだ。
後悔の念が押し寄せ、食事の手は止まったまま感情を口にする。
「私があの時こうしなければ…」の連発に父は「もういい!」と叫ぶが
解放の良さを知った富美は「いいよ、続けて」と促すやりとりも面白かった。
買い物なんて行ったから、甘やかして育てたから…
「産まなければ良かった」
本音で浩一を否定する筈なんてないが後悔の最上級を用いた母。
その全ての感覚を知ってる私は穏やかに頷くような気持ちだった。

 

地獄

富美が語る事件直後の現場の話は地獄のようだった。
首を吊ったままの兄に触れることを許されず、顔を確認させられ
「こちらお兄さんでお間違えないですか」と何度も聞かれたと。
現場検証が終わるまで警察がいて1階でずっとTV見てたけど何も覚えてなくて
昼にお母さんが作ったオムレツが腐って臭くて、と。
逃げ出したくても逃げることさえ許されず、逃げる場所もなかった。
耐えて、耐えて、耐えて…

 

鬱じゃない

博が浩一のことを鬱だと形容した時、父はムキになって反論した。
その詳細がここで描かれる。

父も息子は鬱なのだと思い、診察に連れ出そうとした。
心の風邪だって」と病院のチラシを手に扉の外から呼びかけると
浩一は珍しく素直に聞き入れ、2人で車に乗って外出をする。
しかし、助手席に乗っていた浩一は走行中にドアを開けて車外へ飛び出した。
予想外の出来事に衝撃が隠せない。
アクションシーンとしても驚いたが、行動の意味がまるで分からない。
えっ、なんでそんなこと!?

父も動揺しながら車を降りて息子を追いかけるが
「鬱なんかじゃない!」と叫び土手を転げまわりながら逃げる浩一。
草と土で汚れながら、訳も分からず暴走を止めようとした父の姿があった。
その出来事は家族の誰にも打ち明けることなく胸に秘めていて
口数少なく興味なさそうに見えたとしても事実はそうではなかったのだ。

鬱が的確でなかったとしても
引き籠った挙句の自殺は心に何らかの闇を抱えていたわけで
精神科やメンタルクリニックにかかるのは間違いではなかっただろう。
本人がただ認めたくなかっただけかもしれない。
鬱でなければ何なのか、その答えはきっと見つけられていないのに
息子がそう言うのならそれを正解として肯定した、そんな優しさがあった。

 

入水自殺

母はショックから引きこもりになったようで浩一の部屋に閉じ籠り
富美が扉越しに話しかけている。
子は親を見て育つとは言うけど、親もまた誰かを真似て生きるのだ。
心が弱った時、他者と分かち合えないと思った時
その手段を知識として学んだ鈴木家。

「私ね、キレてたからよく覚えてないんだけど…」と
富美はストレスフルな状態で泣きながら懺悔するように言った。
浩一が部屋から自発的に出てくることを期待して
母は1階でケーキを用意してハッピバースデーの歌を歌い始め
富美にも歌うように促すが兄は一向に反応しなかった時のこと。
「聞こえてるんでしょ!」と部屋に乗り込み兄へ暴言を吐いたのだ。
「生きてても死んでても同じなら死ねば!」

このエピソードに私の心は凍った。
引き籠っている部屋に強引に入ってくること自体、相当なアウト。
部屋の扉は心の壁であって、強引に破ってはいけない。
突然こじ開けられた無防備な心にその鋭利な攻撃は
自殺の引き金を引くのに不足のない凶器だと思う。
例え元々心を閉ざした理由が全く別の事由であっても。

富美は自分のせいで兄が死んだと自責し、湖のようなところへ入っていく。
浩一を不憫に思った私は死なないで欲しいとは思わなかった。
死んで償えとまでは言わないが、同じだけ苦しんで欲しいと思った。
生きている限り贖い続けろと、苦しみ続けるべきだと思った。
死ぬ方が余程楽だとも思う。

しかしこのシーンは母が追いかけてきて水の中で富美を抱き締め
「私、お兄ちゃんに謝りたい」という想いを受け止めて終わった。
母が母でいられて良かったね。
本当に育児を放棄して自分のことしか考えられなくなっていたら
彼女は子供を2人共失うことになっていただろう。
そしてきっとそこまで行ったら自身も自殺する可能性が高くなる。
ほんの僅かの勇気と歩み寄りで展開が変わった。
冒頭のコーチが「愛で変えられる」と言ったのはあながち間違いでもない。

 

霊媒

富美の無念を晴らす為に、霊媒師を呼んで謝るきっかけを作ることに。
しかし胡散臭さ満載でシュールなシーンである。
信じてる風にリアクションしていた母すらも後で笑っていて
逆にそれが家族の緊張をほぐしたようにも思えた。
「イヴちゃんが犬って…(笑)」

 

コウモリ

母が倒れた時に天井にコウモリが飛んでいたとか
浩一は押入れにコウモリを飼っていたとか
幼少期に富美とコウモリが部屋に入ってくるのを待ってたとか
物語の中に散りばめられていた伏線を最後に回収。
この辺になると「映画まだ続くのか…」とダレた気になってくる。
正直コウモリとイヴちゃんの話は見ている人には重要さが伝わらないが
監督の事実に基づく物語ということを踏まえると
当人の心の余韻を示すものなんだろうなと強引に納得させてみる。

イヴちゃんから連絡が来て家族3人で車に乗るシーンでおしまい。
結局イヴちゃんはどう関与してたのか明かされないが
逆に想像を超えるようなこともなかったから描かれないのだろうと解釈。
エンドロールの途中で家族写真が写るのがラストシーン。

正直もうちょっと終わり方を工夫して欲しかったが
「美談にしたくない」「ハッピーエンドでもバッドエンドでもない」
「そもそもエンドはない」という方向性を感じ取った。
総合的に見ればとても良作。

処女作ということで「次回作にも期待」というレビューをよく目にするが
私個人としてはこれ1本だけで監督をやめても十分な気がする。
腹の中に渦巻いていた想いを形に出来て良かったんじゃないかなと。
どの辺が実話でどの辺が作り話なのか分からないが
マイナス方向にしか動いてない筈の現実を
プラス方向に動いたことにする嘘が希望であり理想であり
そういった夢を形にした上で現実に向き合うのって大切だと思った。