霞みゆく破片

漫画と映画の感想ブログ。アウトプットすることで覚えておきたい。

戦場のピアニスト

ゲットーから逃げ延びたピアノ大好きユダヤ人の物語

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基本情報

監督: ロマン・ポランスキー
脚本:脚本 ロナルド・ハーウッド / ロマン・ポランスキー
原作:ウワディスワフ・シュピルマン
製作:ロマン・ポランスキー / ロベール・ベンムッサ / アラン・サルド
総指揮:ティモシー・バーリル / ルー・ライウィン / ヘニング・モルフェンター
出演者:エイドリアン・ブロディ / トーマス・クレッチマン

 

あらすじ・感想(ネタバレあり)

日常の崩壊開始

ラジオ局のブース内でピアノを演奏していた最中に爆撃が始まり
スタッフはすぐ逃げ建物が崩壊しかけるも演奏をやめない主人公シュピルマン
さすがに命が危なくなって逃げ帰ると家族が荷物をまとめている。
ラジオでは戦争の敵国に宣戦布告をした国が増えた朗報を伝えており
結局家に残ることを選んだ一家だったが
その時点でどこか遠くへ行っていたら家族全員助かったのかもしれない。

ユダヤ人差別

ダビデの星の腕章を自ら用意してつけることが義務付けられ
ユダヤ人かユダヤ人でないかを明白にする風潮が始まった。
街中では歩道を歩くことも許されず「ユダヤ人お断り」の店も出始め
公園への立ち入りやベンチに座ることすら法律違反で取り締まられる。
バスの座席もドイツ人専用シートが設けられ人種差別が浮き彫りに。
ドイツ兵に言いがかりをつけられては虐待を受ける辛辣な世界。

財産制限についても描かれている。
ホロコースト知識として四文字の情報は知っていたが
破産までのカウントダウンだということにこの映画でようやく気付かされた。
お金がなければ食べ物も買えない→飢える→死ぬ
食料の為に大好きな高級ピアノを破格で売らねばならない展開も。

ゲットーへの移送

ゲットーはユダヤ人強制居住区であり、一般的な商売も認められ
ここでは家族揃ってそこそこ生活出来るアパートが与えられる。
戸建ての富裕層が突然社宅団地暮らしになったくらいのランクダウンだろうか。
ただし、レンガで包囲されて外に出ることは許されない。

才能を発揮して大儲けする者もいる中で
シュピルマンの弟は手持ちの本を売るくらいしか商売が出来ず
一家は乏しくなる一方だった。
しかし主人公シュピルマンはピアノの腕を評価され
レストランで演奏する仕事についており、他の人より苦労が少なそう。

ゲットーの光景

力づくで食べ物を奪われて地面に飯盒をぶちまけ絶望する持ち主。
いかに貴重なものを失った嘆きなのか伺える泣き方だった。
吐しゃ物のようなリゾットを地面に這いつくばって両手でかき集めて犬食いする盗人。
その隙に帽子を奪って走り去る別件も発生し、弱肉強食の世界が広がる。

一般道を通る踏切は長時間待たされ
その間にドイツ兵にからかわれて寒いなら踊れとおもちゃにされるユダヤ人たち。
他人同士、松葉づえの負傷者でも容赦なく踊らされ誰も抵抗せず
完全なる上下関係が出来上がっている。
その一方でドイツ兵の機嫌をうまく操れると嗜好品が貰えるなど
正当評価が効かない恐怖の運試しワールドのよう。

レンガの壁の向こうから時折合図と共に袋が投げ入れられていた。
ユダヤ人を不憫に思う外国人の支援なのか
壁の外に抜け出したユダヤ人が連携を取って中に運ぶ行動なのか。
壁の下に掘った穴から少年が中に戻ろうとしていたが
盗まれた持ち主が少年をこらしめており
シュピルマンの救助虚しく少年が死んでしまうシーンも。

夕食中の家庭にドイツ兵が勝手に入ってきて、全員立てと言う。
でも車椅子のおじいちゃんは立つ事が出来ない。
するとドイツ兵は窓から車椅子ごと放り投げた。飛び降り他殺。
向かいのアパートから声を殺して見ていた母親が思わず叫ぶ。
そういった「悲しみの声」が、その死の悲しみを更に煽る。
そして通行人は容赦なく射殺されたり轢き殺された。人の命が軽い。

脱水症状らしき子供を抱えて水を求めても誰も差し伸べない。
自分が生きることで精一杯な人間は同情など出来なくなる。
ある時はドイツ兵に見つからぬよう隠れていた若い夫婦が
泣き出す我が子の口を封じたら自らの手で窒息死させてしまう。
挙句には苦しくてバタついた物音で結局見つかってしまい
精神崩壊した母親は「なんでこんなことに…」と泣きながら繰り返す。
ましてやその嘆きを疎ましいと苛立つ光景が描かれていた。
自分だって嘆きたいのに、自分だって我慢してるのに。

強制収容所への移送

ある日、選別が行われた。
家族のうち若い2名が選ばれ、残りの者は移送されることになった。
移送される者と残される者の違いは何なのか、移送先に何があるのか。
移送先で新しく労働するだけだと楽観視する者もいたが
老人や障害者が含まれることから死が待ち受けている予感が漂う。

移送の列車を待つ広場で、選別された筈の家族2人が合流した。
一緒にいられる喜びと、折角助かったのに余計なことをしたと嘆く想いの中
一家は物売り少年からキャラメルを1粒買って分け合う。
もう移送先では現金など無価値であると察し、なけなしの高額を投じながら。
無言で目を合わせて口にしたそれは、最後の晩餐となった。

主人公家族にはユダヤ人警察の知人がいて、同じ職場への勧誘を受けるが
棍棒で人を叩く行為を批判し家から追い出していた。
しかし弟が捕らえられた時には結局その彼に頼み込んだり
汽車に乗る直前で彼に腕をひっぱられ助けられたりして
皮肉ながらもそこでは権力が何よりの生きる術だと思い知らされる。
正義も道徳もそこでは何の生命力にならない。
家族と離れたシュピルマンはここから1人で生き残ることになる。

選別で残された者の生活

残ったゲットー内のユダヤ人は肉体労働を強いられていた。
だから体力のありそうな若者だけが残されたのだ。
しかし残っても死はいつも隣り合わせ。
3列縦隊の中から選ばれた人が1歩前に出て地面に伏せろと言われ
1人ずつ順番に頭を撃たれた。
順番が来るのを分かっていても誰も逃げないし声もあげない。
静かな死もまた感情も凍らせる。

シュピルマンは貧弱なピアニスト故に肉体労働には向かなかった。
仲間の恩情で楽な仕事につかせて貰うも精神的に辛いことに変わりはない。
彼等の間で反乱を企てる動きが始まり
外に食料を買いに行く際に武器になるものを仕入れたりするが
バレそうになったこともあった。

逃亡生活の始まり

脱走という程外に出るのは難しくなかったが
皆それをしなかったのは出たところで行くあてがなかったからだった。
しかしシュピルマンには幸いあてがあり、かくまって貰えることに。
いつ殺されるか分からない日々と別れる為、ゲットーを抜け出した。

かつての知人女性ヤニナの好意で安全な場所にある家を与えられ
彼女が週2で食料を運んでくれた。
そこはゲットーがよく見える特等席でもあった。
程なくしてゲットーではワルシャワ・ゲットー蜂起が起こる。
選別後に一緒に肉体労働をしていたユダヤ人仲間たちの反乱だ。
火事になり、燃えた身体で建物から飛び降りる人の姿や
レンガの壁に手をつかされ銃殺される光景を、ただ窓から眺めていた。

ここでの生活は長くは続かず
夫婦2人が所属する反ナチ組織がバレてヤニナも捕まり
追われる身となったので旦那と共に逃げることを提案されるも
動くことを恐れたシュピルマンは1人その部屋に残った。

餌待ちのヒナ

食べるものがなくなって困っていた頃、隣人のドイツ人に存在がバレてしまい
最初に貰った緊急時用の行先に身を移すと
かつてデートした自分のファンの女性ドロタとその旦那の家だった。
旦那に連れられ隠れ家へ移動し、2日目にはアパートの1室を与えられる。
個人的にはかくまうお礼をもっと言って欲しいと思った。

世話役がユダヤ人を助けるという地下活動を行う人物へバトンタッチ。
だが実際彼はなかなか食料を持って来てくれなかった。
次にいつ来るとも分からない世話人を待つだけの生活の中で
今ある食料のペース配分をどう計算したらいいだろうという不安。
芽の育ったじゃがいもに苦心しながら包丁を入れる描写だけで胸が痛い。

ドロタ夫婦が別れの挨拶を告げに来た時、シュピルマンは病に伏してうなされていた。
実際その世話人は同じ地下活動賛成派から支援金を受け取っていたが
私腹を肥やし、人助けなどするつもりはなかったことが判明する。
自分で餌をとれない雛に餌をあげるのを放棄するのもまた虐待である。

迫りくる戦線

体調が回復した頃、近所の病院が爆撃にあい戦線は目の前に迫っていた。
支配するばかりだったドイツ兵も次々目の前で殺されている。
同じアパートの住人が「ドイツ兵に包囲されてるから逃げろ!」と
声をかけてくれるものの、ドアが開かず、そもそも逃げ場がない。
自分の部屋に爆弾が吹っ飛んでくるも運よくあたらずに済んで
隣の家との壁を打ち抜いてくれたので隣家から脱出。
天井へ逃げ、病院へ逃げ、命からがら身を隠すことに成功した。

しばらくはもぬけの殻となった病院で生活する。
キッチンにあった食糧で食いつなぎ、割れた窓から外の様子を伺う日々。
ある日建物に強力な炎を打ち込んで中に強制的に火事を起こす光景が。
危機一髪で病院を飛び出し、振り向いたそこは早くも火の海だった。
慌てて脱出した際に足を負傷し、引きずりながら逃げ込んだのは
既に燃やされた後、廃墟となっていた民家だった。

久しぶりのピアノ

そこで大きな缶詰を見つけ、拾った金属を打って開けようとするが
見回りのドイツ兵の気配に気付いて屋根裏に隠れる。
ハシゴをとってしまえば上がれなかったので割と安全ではあるものの
夜になるのを待って再び降りて缶を開けようとする。

順調に穴が開いていくが滑って缶詰が床を転がり水分が勢いよ零れ出す。
その貴重さに「勿体無いから早く拾って!」と焦るが彼は拾わなかった。
転がっていった缶詰の先にドイツ兵が立っていたからだ。
ここで終わってしまうと思い、息を吸い込んだ。

でもそれは稀にいたとされる「優しいドイツ兵」だった。
ピアニストだったことを明かすと何か弾くよう言われ、緊張の中で演奏が始まる。
もし、彼がピアニストでなければ助かっていなかったかもしれない。
芸は身を助くとはまさにこのこと。
最初は途切れそうになってた演奏も次第に感情が入っていき
大好きなピアノを演奏出来ている喜びや
恐怖にとりつかれたような激しさが表現されていたように思う。
私はピアノ演奏で涙したのは初めてだった。

曲が終わったら撃たれるかもしれないと思いながらも
最期が大好きなピアノと一緒なら幸せだろうとも思った。
でも彼はブラボーと拍手を送ることこそしなかったが
とても気に入ったようで再び訪れては食料を持って来てくれた。
包みを開けると缶切りもあって
その人間らしい素敵な思いやりにまた涙を誘われた。

終戦

終戦間近、兵の撤退前にありったけの食料を持って彼が再び訪れる。
初めて名前を聞かれ、必ずラジオを聴くと言って兵士は微笑んだ。
寒そうにしているピアニストに、自分が着ていたコートも与えて去っていった。
そして終戦を告げる車が走ると、生き残った人たちが集まってゆく。
合流しようと出て行くとコートのせいでドイツ兵だと間違われて攻撃を受けるが
ポーランド人だと釈明し顔をじっくり見てやっと理解を得られた。
その姿に残虐なイメージを強く認識した人は、確認もせず射殺しようとした。
これもまた1つの洗脳だ。

戦犯として捕まったドイツ兵たちは有刺鉄線の中にいた。
解放された囚人たちは仕返しの罵声を浴びせ、唾を吐きつける。
楽家の囚人の罵声を聞いた「優しいドイツ兵」はシュピルマンを助けたと主張し
自分を助けて欲しいと伝言を頼もうとするが
肝心の自分の名前を告げられないまま声はかき消されてしまう。

シュピルマンははオーケストラを従えて再びステージに立ち
88歳まで生きたというテロップが出て
この映画が実話に基づいて作られたものと知った。
優しいドイツ兵の名はヴィルム・ホーゼンフェルトであると明かされ
1952年にソ連の戦犯捕虜収容所で死亡とのテロップ。
名前は判明したものの、シュピルマンに出逢う前の数々の戦犯は
簡単に帳消しにならなかったということだろう。

シュピルマンがラジオブースでピアノを弾くシーンは
待ち望んだ日常の尊さを感じさせ、そこもまた涙を誘われた。

感想追記

今まで見たユダヤ人迫害映画の中で、最もクオリティが高かった。
好きな映画のトップ10に入れたい。
有名作だし大衆受けするならショック性は少ないだろうと思ったら大間違いで
非常に心臓に悪い映画だった。
鑑賞後1時間経っても尚まだ緊張感が残っている。

ホロコースト関連の映画はつい口を開けて見入ってしまうので
飲み物を用意しながら鑑賞するのだが、いつも以上に喉が渇いた。
食料の貴重さを生々しく感じた映画を見た後だと
冷蔵庫にペットボトルがあるだけでなんだか感動してしまう。
当たり前のようにこなす仕事に感謝すら覚える。
軽度の怪我くらいたいしたことないと思えてきた。

街を歩きながら映画のシーンを思い浮かべて
死体が転がっていたり、ただの列をガス室行きと妄想したり
ホロコーストの世界に少しとりつかれている自分がいる。
浮浪者さえ今は想像力を掻き立てる力を発揮させる。
それだけ酷い環境を強いられた人たちを知って悲しくなった。

この映画でメインに描かれているのはゲットーで強制収容所は出てこない。
収容所よりはずっとマシであったであろうゲットーの模様なのに
ビクついて飛び上がったり、無意識的に口元を力強く押さえて息を殺す程
描写がリアルで凄い迫力だった。
やっぱり文字を読むのと映像で見るのでは受けるダメージが違う。
映像すごい。映像こわい。現実はきっともっと怖い。

あと主人公が動物的で母性本能をくすぐるようなキャラな気がする。
ピアニストのイメージ通り紳士的で口数が少なく穏やか。
だけど人間として当たり前の行動はするので「察して見る」が多い映画。
怒鳴ったり感情剥き出しで喚くキャラだと
見ている者の感情移入度合いも変わると思うのでこれで正解なんだろな。

本当にショックの強い映画でした。
でも見て絶対に損のない、素晴らしい作品だと思う。