霞みゆく破片

漫画と映画の感想ブログ。アウトプットすることで覚えておきたい。

私は貝になりたい

不本意な「お国の為に」に振り回されて死刑になる物語

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基本情報

監督:福澤克雄
脚本:橋本忍
ジャンル:戦争映画
描写:実写公開:2008年
出演: 中居正広 / 仲間由紀恵 / 笑福亭鶴瓶
主題歌:Mr.Children 『花の匂い』

あらすじ(ネタバレあり)

第二次世界大戦中の昭和19年高知県が舞台。
理髪店を営む若いパパの清水豊松に赤紙が届き出兵が決まる。
5歳児に続く第二子の出産を控えた妻と幸せな家庭を築いており
不安を隠し「名誉」と言い聞かせて家を離れて入隊した。

ある日、敵の飛行機が訓練所の近くに落下し3名の捕虜を捕えた。
1名はすぐ死亡したが、虫の息の残り2名を杭に縛り付け
「適当に処分せよ」との命令がくだり
二等兵であった豊松ともう1人が処分役に抜擢された。

隊長から刺殺するように命じられたじろいでしまう。
殺す勇気は出なかったが場の空気に攻め立てられ
「長官の命令は陛下の命令!」の教えに従って槍で敵の腕を突き刺した。
豊松は怪我をさせた程度で致命傷に至らない攻撃だったが
死にかけだった捕虜は手を下さずとも間もなく息絶えた。

終戦と共に除隊し高知県へ帰郷。
幸せな家庭へ無事に戻って来ることが出来た。
しかし、捕虜を殺害した罪で逮捕され、裁判にかけられてしまう。
殺すよう命じた長官が死刑を免れ安心して自分の判決を待つが
実行犯の豊松に下されたのは死刑だった。

納得いかない豊松は2人ずつ収容された監房で項垂れていた。
初日を共にした相部屋の囚人は翌日刑が執行されて去っていった。
リアリティを見せる死刑判決。

同じく死刑宣告を受けた同じ棟の囚人達から
再審を求める嘆願書を書くことで減刑された者も多いと聞き
豊松も嘆願書を書き、助かる可能性を信じて夢中になる一同。
新しい相部屋相手はアメリカの大統領に英語で手紙を書き
高知県の妻も必死の想いで署名を集めてくれた。

「チェンジバロック」(移動)と言い渡された豊松は
減刑が認められたのだと解釈して舞い上がる。
相部屋の人は豊松以上に喜んで急いで荷物をまとめてくれたり
他の囚人に聞こえるよう叫び声をあげてアナウンスした。
食器にスプーンでカチャカチャ音をたて、自分のことのように祝福する一同。

そして告げられる死刑執行の事実。
天国から地獄へ落ちるとはこのことだろう。
最後の夜は晩餐が用意され、豊松は項垂れたまま酒に溺れた。

牧師に言われるまま家族への手紙を書こうと筆をとるシーンで
この映画は終わっていく。

さようなら

お父さんはもう二時間程したら死んでいきます
お前達と別れて遠い遠いところへ行ってしまいます
もう一度会いたい
もう一度皆で暮らしたい
許して貰えるのなら手が一本、足がひとつもげてもいい
お前達と一緒に暮らしたい
でももうそれも出来ません

せめて生まれ変わることが出きるのなら…
いいえ
お父さんは生まれ変わっても人間になんかはなりたくありません
人間なんて嫌だ
牛か馬のほうがいい
いや、牛や馬ならまた人間から酷い目に遭わされる
どうしても生まれ変わらなければならないのなら
いっそ深い海の貝にでも…
そうだ、貝がいい

貝だったら深い海の底の岩にへばりついているから何の心配もありません
兵隊に取られることもない
戦争もない
房江や健一のことを心配することもない

どうしても生まれ変わらなければならないのなら
わたしは貝に…なりたい

家族の写真を握り締めながら処刑される。
最後に一目見ようと折り畳んだ写真を広げている途中で覆面を被せられ
もう二度と見ることは叶わなかった。 

感想(ネタバレあり)

見終わって初めて悟ったタイトルの意味。
都合の悪いことは言いたくないというニュアンスだと思っていたけど
これ以上絶望したくないという意味での「無の象徴」だったとは…。
あまりに悲しさに1週間程ショックを引きずった。
寝る前もぐるぐるとこの遺書の言葉が頭を巡っていたけど
やっとこうして吐き出せて少しすっきり。

死刑囚の絶望を覆す言葉は何も見つからない。
目の前に人生の終わりが見えて自由もきかないって
こんなに苦しいことだったんだ。

死刑ものの映画が見たくて選んだタイトルだったので
結末なんて見る前から分かっていた筈なのに
「死ぬしかない現実」は豊松の絶望感が流れ込んでくるようだった。
そして彼の死など、戦犯のひとつに過ぎない小さな命。
囚人仲間に知らされることもなく、家族も立ち会えない。

苦しい想いをしたけど、改めて死に触れることって大切だなと思った。
もっと触れたいと思わせてくれる良い作品だった。

特筆したいこと

命令の恐ろしさ

歯を食いしばって意図しない殺人を実行するのは
「戦争あるある」だと思って見ていたけれど戦犯と言われれば確かにそうだ。
「なぜ命令に背かなかった!?」と問われ
「命令は絶対だったから」と困惑しながら反論する豊松。
見ている側は豊松がどんな想いで挑んだか同情しがちだけど
これは虐殺を突き進んだ悪の権化であるナチスと同じなんだなぁ。

そもそも赤紙を名誉だなんて思えなかった者は
国よりも家族が大切だった筈なのに反論の余地はなかった。
今も戦争がある国では同じことが繰り返されるだろう。
戦争に加担した、敵国を攻めた、それが罪になると言うのなら
戦争が起きることを分かっていて止めなかった者全てが罪の筈だ。

いじめを見て見ぬフリをして強い方の機嫌を取り
自分がいじめられない為には多少なら手を汚すことも厭わない
…そんな怯える弱者ときっと同じ。
戦争がなくたってそういう風潮は消えていない。

巣鴨プリズン

豊松が収容・処刑された巣鴨プリズン
第二次世界大戦後に設置された戦犯罪人用の施設だそう。
現在は池袋サンシャインが華々しく跡地に建っているが
その名残から心霊スポットとしても有名だそう。
その変貌とリアリティにちょっとビックリ。

天秤にかけたもの

「房江や健一のことを心配することもない」という一節が刺さった。
家族の心配なんて醍醐味なのではと思いながらも
絶望した豊松には救いなどないのだと叩きつけられた感じ。

自分の留守の間に生まれた2人目の子と面会するシーンは
抱いてあげられないもどかしさが募った。
生きていても「生」の世界に身を置けない「死」の世界の住人。
「生」の世界がどんなに輝いていようとそちらにはいけないのだ。
ならばその疎外感を、孤独を、元から消した方が気持ちが楽になれる。

今の私の感想

上記、ここまでほぼ当時書いた感想文を推敲したもの。
たった6年前の感想だけど当時の感覚とは違う今の感想としては
驚きはなくなり「わかる、そうなるよね」と共感が増している。
絶望と希望の天秤を考えるような状態のメンタルで
希望を重んじられることはほぼない。

自分を信じ続けてくれる妻がいて
自分の血を引き妻を支えてくれるであろう息子もいて
減刑を大喜びしてくれた仲間たちがいて
豊松の人間関係はとても豊かで恵まれていて幸せだったと思う。
それでもそこに幸せを感じる余裕などない絶望の深さ。
絶望ってそういうものなんだと思う。
視野が狭くなって暗闇にしか目がいかなくなる現象。

あと死ぬタイミングを自分で決められないのってすごく嫌だな。
自死を望むにせよ、病気や衰弱で肉体が限界を迎えるにせよ
ある程度最期を推測して死ぬ準備を出来るのはマシなのかも。
最期に会いたい人やしておきたいことを叶えられるなら
例え志半ばで人生を終えるにしても自分の決断が含まれる。
写真をもう一目見ることすら叶わなかったシーンが
その無念さをとても物語っていたように思う。

繰り返し見たい映画ではないけど胸に刻んでおきたい1本だった。