霞みゆく破片

漫画と映画の感想ブログ。アウトプットすることで覚えておきたい。

校舎のうらには天使が埋められている

制度化された悪質ないじめに立ち向かう物語

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基本情報

作品名:校舎のうらには天使が埋められている
作者:小山鹿梨子
巻数:全7巻

掲載誌:別冊フレンド
発表期間:2011年~2013年
別作品化:実写なし

 

あらすじ(ネタバレ)

小学生の「遊びがエスカレートしたいじめ」を題材にした物語。

消極的な性格の後堂理花が転入してきたところから話が始まる。
クラスのヤジや強気な女子の軽い嫌味、授業中にあてられた回答など
弱気な子の大きなダメージとなる場面で次々守ってくれる蜂屋あい。
しかしそれは後堂を油断させる為の遊びでしかなかった。
後堂は首輪をつけられクラスの飼い犬「ソラ」として扱われる。

穏やかに微笑み優しい口調で話す蜂屋あいはクラスのカリスマ。
全ては彼女の「遊び」を満たすため、クラスメイトが喜んで足となる。
いじめの目的に憎しみなどのドロドロした感情がなく
皆が自主的に蜂屋の下僕となり、クラスが自然と統率されている。
その為「良い子ばかりが集まった素晴らしい4年2組」として評判がよく
担任は自分のクラスを過信して誇りに思い
どれだけいじめの報告を受けても自分を陥れる罠だと疑って信じない。

「ソラ」は後堂が2人目で、初代の曽良野まりあは死んでいた。

意を決していじめに反対した浜上優が勇気虚しく3代目のソラとされる。
幼馴染で互いに想いを寄せ合った波多部 隼人が味方となるかと思いきや
保身に走った隼人に裏切られ、不登校の引きこもりとなってしまう。

一匹狼のクールビューティー光本 菜々芽が真っ向から蜂屋に敵対。
浜上をケアし、初代ソラの死の詳細を暴き、蜂屋を追い詰める。
脇役たちの殺人にまで規模が拡大したところで一旦クライマックス。
蜂屋の屋敷で菜々芽は無理心中を強いられた。

幼少期の蜂屋の親は家では暴力的、外では完璧な良い人で
蜂屋の自己形成の基盤も垣間見える。
人のオーラが見え、死ぬ瞬間の美しさに魅せられていた蜂屋は
自分の色が見えないからと菜々芽の綺麗なオーラを欲しがっていた。

突き落とされた穴は海に繋がっていて一命を取り留めた菜々芽。
蜂屋は行方不明で死んだとされ、舞台は進学した中学校へ移るが
ここでも同じように華ヶ崎愛子が女王蜂のように君臨するいじめがあった。
蜂屋のトラウマに魘され幻覚を見ながらも再び立ち上がる菜々芽。

しかし愛子は殺された。
女王蜂の器になく、下剋上によって内側から滅ぼされていったのだった。
危険を回避しながら全てのからくりが明らかになり
平和が訪れようとしたところで蜂屋らしき人物が戻って来る結末。

 

感想(ネタバレ)

憎しみのないイジメ

イジメの物語なのにどこか可愛らしくて美しいと感じるのは絵柄のせいか。
この物語には殆ど憎しみや絶望という苦痛が描かれない。
直接手を下す下僕たちは卑劣なことをしているし
泣いたり死にそうになったりする描写もなくはないが
穏やかで優しく微笑む蜂屋がまるで聖母マリアのようであまりに愛らしく
それに惹かれ彼女を満たそうとする動きが自然に思えてしまう。

狂気は確かにある。
いじめのレベルも深刻な度合いだ。
でも蜂屋を憎いと思わせる要素があまり描かれないのだ。
これが女王蜂なのかと。

このイジメの怖さは「自然すぎる制度」なんだろう。
こうなるのが自然で、壊すのは不自然。
その難易度にどうやって立ち向かうのか、諦めるのか。

ネバーランド行き

初代ソラにはピーターパンと慕う男の子、近藤泉の存在があり
一緒に自殺してネバーランドに行こうとしてくれようとしたが
校舎の屋上から飛び降りるその瞬間に手を離し裏切られていた。
この描写があまりに怖くて個人的に結構刺さった。

これ以上の裏切りってあるだろうか。
これ以上の絶望ってあるだろうか。
そして、手を離した方の男の子にとって
これ以上のトラウマはあるだろうか。

最初は蜂屋の計画によってソラを殺す為に近藤泉を使い
わざと1人で自殺するように仕掛けた罠かと思って戦慄した。
命の問題だけじゃない、信頼を絶望に買える恐ろしい計画だと。
でもネバーランドに行こうとした2人は相思相愛だったから切ない。

ただの悪と善で片付かない、中間層の不安定な感情。
だからこそ心を預け信じただろうし
一時は一緒に死ぬつもりで互いの全てを受け止めた筈。
でも「死にたくない」「生きたい」という本能は優しさだけで消せない。

保身に走る人たち

自分がいじめられない為に他者を売る描写も多々ある。
浜上を裏切った隼人をはじめとして
2代目ソラの後堂がソラに戻りたくないが故に蜂屋の足となったり
勇気を出して歯向かった隼人を褒めるフリしていじめ現場に誘導した子など。
隼人は男らしくない卑怯者として描かれるが
自分を守る術として他人を生贄にするのは仕方ないような印象もある。

ネバーランド然り、心を通わせていたのに見捨てる行為には怒りを感じるが
最初から味方意識などのない敵には期待のしようもないから
大切なものとそうでないものを区別する人には怒りがわかないのかも。
捨て猫に中途半端に餌をやる行為は残酷だとか
育てる覚悟がないのに産んだ親は堕胎するより酷く見えたりとかと同じで
「期待させたのに」が1番罪が重いのかもしれないと思った。

クレイジー千尋

蜂屋を「姫の神様」と呼び狂信的に崇めるオタクっぽい女子、更田千尋
こういうクレイジーなキャラクターは良いね。話が面白くなる。
憧れの人を神格化して犯罪でも疑問を持たずに支持遂行する姿は
オウムやナチスに通ずる仕組みで客観的に見るとヤバさしかないものの
何かの熱いファンであるスタイルが多い現代では実は他人事じゃない。

神様のご要望に沿わない結果を出した瞬間切り捨てられそうになり
「今まで尽くしたのに」と熱量に見合わぬ対応に初めて現実を与えられる。
全ては一方的な支援であり、愛されてなどいないのだ。
「次失敗したら殺される」という大切にされてる要素ゼロでも
ラストチャンスを与えられただけ温情と心得て尽くし通す千尋
身に覚えがなくもない盲信スタイルの私はいささか胸が痛かった。

千尋は蜂屋の館に火をつけて全員燃やそうとした。
そして盛大な生贄を神に捧げる儀式の如く空に両手を広げて笑う。
菜々芽の母親と木戸先生を「見たい世界しか見ない人」という形容があったが
千尋もまた、自分の信じた神様を神様のままでいさせたかったように思った。 

タイトルの面白さ

このマンガを読もうと思ったのは単純に絵柄の好みとタイトルの面白さ。
話は面白いのにタイトルが適当につけられたような作品も多い中で
この物語は十分にリンクを楽しませてくれた点も評価したい。

実際に校舎裏に埋められていたものは
虫の死骸と、初代ソラの遺書と、愛子の遺体。
小学生の頃は私も虫のお墓を校舎の裏に作って死を悼んだことがある。
そんな純粋さに焦点があてられたのも興味深かった。

天使とはどんな存在なのかという問いを頭の片隅に置きながら
誰かにとっては悪魔でも
誰かにとっては癒しになっていることに注目しながら読み進めるのも楽しかった。

タイトルの天使が悪魔だったらもっとワクワクは薄いだろう。
宝探しのように「何か分からないけど良いもの」を見つけたい感覚があった。

蜂屋あいの幸せとは

優越感は十分に味わえていただろうが、幸せそうには見えなかった。
もっと違う生き方をした方が自分の為にもいいんじゃないかと思った。
人を支配することに囚われ、良い子を演じる「才能」に縋った生き方。
子供は子供らしくあれとは言うけど
この子は才能の開花が早すぎて子供でいられなかったのかな。

大人になった私は心の闇や歪みが幼少期の反動だと強く実感していて
何が不足し、どうしたらこうなってしまうのだろうかという
心理学的観点で彼女を観察するのも興味深かった。

微笑みがとても柔らかく、その表情に迷いが見えない。
自分の幸せや喜びの道を見出し信じていて苦悩する様子がない。
凡人の私がようやく彼女に共感を見出したのが
外面の良いDVの父親を持つことだった。
親を真似たのかと腑に落ちる描写。
よく考えれば拷問部屋があることも異常だし教育に良いわけがない。

彼女はこれで良かったのだろうか、どうやったら救えただろうか。
憎むよりも不憫に思ってしまうくらい、私の目には不幸に映った。

真のカリスマの器

蜂屋に心底惹かれていた春日新が
新生蜂屋のように登場した愛子に面影を重ねて交際するも満たされず
憧れを穢されたことを恨んで愛子を殺す。
行動自体は凶悪でありながら、感情は十分に共感出来てしまう。

そうか、蜂屋は母性に溢れていたのだ。

どんなに位の高い神様であっても、傲慢で無慈悲な者には惹かれない。
その点蜂屋は穏やかで優しく包み込む肯定の象徴でもあった。
手を汚さずにいられたからこそ微笑んでいられたものの
彼女が直接口にする発言や態度は決して暴力的ではなかった。

下僕たちの自尊心を損なうただの女王様気取りの愛子では二流なのだと
とても分かりやすく描かれていて頷いてしまった。

結末について

エイズムを読んだ後だから同じパターンだなって印象。
そもそも菜々芽と同じタイミングで同じ穴に落下した蜂屋は
死亡も確認されてないし生きているのだろうという伏線は察していた。

再登場した蜂屋のその後は描かれてないけど
これはもう素質の問題だから彼女は死ぬまでカリスマの筈。
そして望めばまた悪事にだって手を貸す下僕もすぐ集まる筈。
使いこなせる人の手にある能力は問題ないのだ。
使いこなせない人の手に能力がある場合に周りが苦労する。
幼少期に根付いたもの、これまで経験したことは人生であり自身だから
きっと彼女は数年間の歳をとったところでそんな簡単に変わらないだろう。

他にどんな終わり方だったら面白いかなーと考えてみたけど
愛子を殺すほど蜂屋に心酔していた春日が「3代目蜂屋」を見つけるとか。
例えそれが蜂屋の本物でなくても
女王蜂に支配されながら心身預けて生きていきたい下僕を描くのもアリかと。
女王蜂が1人2人いなくなっても繰り返される
「これは1つのイジメでなく社会の在り方なのだ」
という恐怖心を再度描いて欲しかった。