霞みゆく破片

漫画と映画の感想ブログ。アウトプットすることで覚えておきたい。

ターザン

ゴリラに育てられた人間がジャングルで暮らす物語

 

ざっくりあらすじ(ネタバレなし)

ゴリラの母親に育てられる人間の少年のお話。
どこかゴリラと違う自分が仲間に認めて貰えない寂しさを抱えながらもたくましくジャングルで育ち、訪問してきた人間と出会って今までの違和感の真実と人間という生き物を知っていく。

感想(ネタバレあり)

ゴリラ一家の赤ちゃんがチーターに襲われ傷心していた母ゴリラと、漂流して島に辿り着いた人間一家の両親がチーターに襲われて残された赤ちゃんの出会いから物語は始まる。

えっ、ディズニーって結構辛辣なシーン多いな!?

ディズニーと言えばふわふわキラキラ夢の世界のイメージだったけど、ベイマックス然り、バンビ然り、可愛いキャラの背景に絶望的な死が描かれることが多いのが結構衝撃。
でも自然界の掟だし、切り離せないものだもんね。
そしてそういう悲しい気持ちがあるからこそ、相反する夢や希望や優しいものが沁みるもんね。

あ、でもよくよく調べたらディズニーオリジナルではなくてターザンっていう物語自体が元々存在していて、そのアレンジで色々作られたうちの1作品ってことらしい。へー。

「同じ」と「違う」

母ゴリラは我が子を失った寂しさから代わりを求める気持ちでターザンを愛しく思って大切に育てるも、群れのボスである父ゴリラは人間であるターザンを仲間と認めようとしない。
仲間外れにされた悲しさに暮れているところに母ゴリラが「目がふたつ、お鼻もあった」と同じ部分を優しく指摘すると「手もふたつ!」とターザンも安心するシーンがとても良かった。
互いの心音を聴かせて、生き物である原点に一体感を共鳴させる。

 


このシーン深くて色んなこと考えちゃったよね。

私の好きなDIRの『現、忘我を喰らう』って曲にもこういう歌詞があって。

同じ心じゃない

同じ言葉じゃない

同じ人間でしょ?

終わりは全て同じ

日本人は特にそういう特性強いけど「普通じゃない」とされるものってそれだけで攻撃を受けるじゃない?
イジメもそうだし、教育もそうだし、大人になってからの人間関係もそう。
「本来そうあるべき」っていう価値観の強い人にとっては意図にそぐわない者は疎まれたり強引に強制されたりして「ありの~ままの~姿~見せるのよ~♪」を許されないことは多い。

「なんで皆と同じじゃないと攻撃されて傷つくことになるの?」って疑問を突き詰めたのがこの作品の終盤に描かれていて、なんだかやっと腑に落ちた気持ち。

共通点があるっていうのは価値観や境遇が近いから、普段から感じていることや文化も大体同じで、例えその人と初対面だったとしても何の説明もなしに意気投合出来たりする。
それって「安心」なんだよね。

逆に言うと自分と違う生き物って未知だから「恐怖」なんだ。
敵対するかもしれない、傷付けられるかもしれない、大切にしているものを壊すかもしれない…そう言った「不安の暴走」によって警戒して「殺られる前に殺っちまえ!」みたいな、自分を守る為に先制攻撃を仕掛けているわけよね。
田舎のヤンキーかよ。

でもそれが「違うと分かって受け入れる」っていうのは、無害である「信頼」の上に成り立つ。
映画終盤でボスゴリラが死ぬ時に「仲間を守れ」と願って指示したことを尽力したことを認め、やっとターザンを息子として受け入れるシーンはもう涙なしには見れない😭
「ずっとその一言が欲しかったよね、ずっと親子になりたかったよね」って心の中でターザンに話しかけながらえぐえぐ泣いた。

おさまらない興奮

銃持った悪い人間(お察しかと思いますが登場人物名が覚えられませんw)にボスゴリラが襲い掛かる時の描写が「宥めても聞く耳を持たない暴力性」が描かれてるのも良かった。
私なんかそういう「感情のリアリティ」みたいのが好き
ターザンも仲裁が容易でないことを瞬時に察したからこそボスゴリラの首を力いっぱい絞めたし、人間たちには理解を求めず逃げることを促した。

映画も歌詞も私は基本的に現実世界に置き換えて思考分析する癖があるのでこれも例にもれずで、そういう人いるなあとか、そういう人が出現した時の正しい対応だなぁとか思いながら見た。

裏切り行為

船に上がってからの「騙された!」の展開が、突然人間世界ならではの醜さが入ってすごく不愉快だった。
銃持った悪人は最初から嫌な奴オーラではあったけど、ちょっと意地悪程度は何かしらの可愛さすら感じるものの、船内監禁はアカン。
ボスゴリラからの拒絶はあったけど、裏表のない感情だったじゃん。
そういうのと違うじゃん、裏切りって。

ターザンをそんな汚い世界に巻き込まないで😭って気持ちだった。
普段当たり前に自分も人間として人間の世界で生きてるけどさ、やっぱ人間の醜さって汚さのレベルが違うなって思ったよ。
それを当たり前に思いたくないけど、郷に入っては郷に従えというか、慣れて行かなきゃいけなくて。
虫苦手だから私は絶対人間がいっぱいいる都心暮らしから抜け出せないけど、人間って怖いなって改めて思ったりした。

でも不思議なことに言葉を持つ人間が大好きでもあるのよ。
人間怖いけど嫌いだけど惹かれるし好きでもあるのよ。
難しいよね。

好きな人の側にいたい

ターザンが女の子…ええと、ジェーンね、おっけ、ジェーン(調べた)。
ジェーンと一緒にいたくてジャングルを出て行こうとした心理も『ジャングル・ブック』同様に人間同士の方が本能的に惹かれるものがあるんだろうなっていう納得はあったんだけど、ジェーンがジャングルに残る決意をしてドレスのまま海に飛び込んだのも最高だったし、何よりその後に父ちゃんも娘を追っていくのがめちゃくちゃ笑ったwwww

父ちゃんの登場シーンはジャングルに来たがってた癖にビビり散らかしてたのに、時間が経つごとに本領発揮していくのも可愛らしかったし、もう本当ラストシーン最高🤣

ハッピーエンド派でもバッドエンド派でもないけど、リアリティを感じるものに共感するので、私は好きな人と一緒にいる為なら色んな障害に立ち向かうタイプだからこの結末はすごく好き!
逆である『ポカホンタス』はⅠもⅡも正直しっくりこなくて「育った環境ってそんなに大事?」って腑に落ちなかったんだけど、まぁ何を重んじるかは人それぞれだし、それこそ同じ人種であろうとなかろうと「同じ」なのか「違う」なのかっていうことなんだろうなぁ。

そういう意味で『ターザン』は非常に好きでした。

あとは母ゴリラね、主張が少なく穏やかに見守る大和撫子タイプだからあまり派手に描かれはしなかったけど、2度目の喪失が訪れなくて良かったねとその幸せにも祝福の気持ち。
尽くすだけ尽くして捨てられても大切な人の幸せを願うタイプの女性って、物語においてはこういう些細な描写程度なんだなという俯瞰目線で見たりも。
割と自分がそういう立場になりがちで手放す時も引き留めたりしないけど悲しみを引きずるので、なんか自分を見ているような気持ちもあった。

その他ツッコミたいところ

・象の子供が水場に入っていく時の不衛生さを気にしてるシーンすきww
・ツルを握るターザンの手が摩擦で赤くなるシーン痛そう🥺
・遺体の処理って自然任せでちゃんと綺麗になってるもんなのかなとか気になっちゃう
・高所恐怖症なので映画見てるだけで震えることあるけどコレはほぼなかった◎